(音叉ヒーリングの様子)
初めまして!
ちょっとはっちゃけたセラピストの恵美です☆ この度、長年の目標であったセラピスト独立の夢へと一歩近づくことができました! Yeahhhhhh!!!! この記念すべき第一回目のブログは長年セラピストをやってきた私が独立に至るまでの経緯を綴っていきたいと思います。
かなーり長くなるかと思うので、気になる方はどうかお付き合いください☆
ちなみに今後このブログではセラピストである私の日常、仕事、旅などを通しての様々な体験や感じたことをランダムに綴っていきたいと思います~!
セラピスト独立までの経緯
24歳でセラピストデビューを果たしてから現在2021年で12年目を迎えます。(いきなり年がバレますw)
大学時代に周りが就職活動を熱心にしている中、私はこの会社でこれがやりたい!といった事が見いだせずにいました。
そんな私がどうしてセラピストになろうと決意したのか、その経緯と理由、そして今後の目標をお話していきたいと思います。
日本某エステサロン就職
大学の就職活動中、これから自分がどんな職につきたいかなんて検討もつきませんでした。
そこでまず、「自分は何に興味があるのか?」、と考えたときに真っ先に浮かんだのが美容と健康でした。女性であれば、ありがちじゃーん!!と言われればそうかもしれませんが、幼少期にアメリカに住んでいたこともあり、みんな小学生の頃からとてもませていたので、私も影響され美に対して興味を持ち始めました。お化粧品も近くのファーマシーにて10歳で初めて購入し、一人で遊んでいたりしました。母親の誕生日にも「マッサージ30分無料券」をあげたりして大好きな母の疲れをマッサージで癒すことが当時の私の何よりの喜びでした。自分の手と気持ちだけで、こんなにも人に喜んでもらえるなんて!!!素晴らしい!そう思いました。
そんな訳で私が選んだ就職先は日本では有名な某エステサロンでした。 「英語喋れるんだから外資系に就職しないの?」 「一般企業の方が安定した生活が送れるよ」 「そんな特別な生い立ちがあるんだからもっと良い会社あるよ!」
「へ~エミがエステ?!」
と周りからは色々な意見をもらいつつも、とりあえずマッサージを学べる機会がある!ということで就職。
結果三か月後、スピード退職。笑
理由は単純です。
マッサージを学べるかと思いきや、いきなり脱毛の部に配属され、色々な人の毛穴とにらめっこする日々。
無理でした。w
更なる理由が、自由な発想、個人の尊重を重んじる国で育った私にとっては制限と抑制のダークな世界に見えてしまったから。 それが社会ってものだとは思いますが、当時の私はそれなりに苦しかったので辞めたのですが、今となっては自分の考えの甘さに笑えます。けど、それがきっかけで海外でちゃんとマッサージを学ぼう!と決意したのです。
派遣で学費を稼ぐ
行く先に選んだのはオーストラリア。アメリカと迷ったのですが、その後働ける環境を考えたらオーストラリアが一番可能性があったからです。学生ビザやワーキングホリデービザの取得も容易ですし、マッサージと美容の国際ライセンスを取得できるとなったら迷いはありませんでした。プラス綺麗な海、リラックスしたライフスタイル、開放的な環境、日本と近い、といったことからオーストラリアのシドニーにある学校を選びました。 さて、行くと決めたからには資金集め。無職になった私は派遣会社に登録をし、日系貿易会社、外資系建築企業、外資系保険会社で働き、僅か1年で150万以上の貯蓄に成功。とはいってもそれは生活資金として使う用で、学費はほぼ親にサポートしてもらいました(^^;
オーストラリアにレッツゴー!
記念すべき2019年の2月、渡豪。選んだ学校はAustralasian College of Natural Therapies。通常2~3年の間で修了するナチュラスセラピー&スパのコースをInternational studentのために一年に凝縮された内容の濃いカリキュラムでした。学んだ内容も解剖学、生理学、栄養学、メーク、ネイル、ボディセラピー(スパ)、アーユルベーダ、フェイシャル、マッサージ、脱毛、エステなど実に多種多様でした。とっても満足のいく内容で、毎日がワクワク楽しく、同じセラピストを目指す仲間と切磋琢磨しながら充実した毎日を送っていました。
職探し
学校を無事修了し、怒涛の日々が終わり、いざ就職先探し。
そこで思い出した学校の先生の言葉。
「いいエミ、よく聞いてね。自分が本当にここで働きたい!という場所があったらまずそこに実際に足を運んで視察しにいくのよ。お客さんのふりをして、どんな場所か、自分がそこで働きたいと思うか、従業員の対応がプロフェッショナルか、使っている商材や施術メニューの情報もゲットしにいきなさい。そしていいな、と思ったらマネージャーを呼んで直接話すのよ。その時点ではまだお客さんのふりをするの。覚えておいてほしいのが、良い印象を与えるように心がける事。自分が聞きたいことをすべて聞き出したら、快くありがとうございました!といい、自分の履歴書を丁寧にお渡しし、堂々とその場を出るのよ」
その言葉を胸に、色々なスパ、クリニック、エステサロン、マッサージ店を視察し、決めたのがオーストラリアで一番大きなフランチャイズのマッサージスパのお店、 ENDOTA SPA。店舗が色々あるので自分が通勤できる範囲内での店舗はすべて視察した上で、決めた店舗に再度で向き、履歴書をマネージャーに直接渡しました。もちろんマネージャーは私のことを覚えててくれ、その場でなんと面接になり、技術チェックも行い、即採用になったのです!!
恐るべし、偉大なる先生のお言葉!!! 全身さぶいぼが立ち、叫びたくなる喜びを感じたのを覚えています。
経験を積む時代
テンションマックス、やる気マックスでセラピストとしてのキャリアをスタートさせた私。毎日が楽しくて、出勤するのが楽しみで、お客さんの喜ぶ顔が間近で感じられる喜びが私の喜びで、私はなんて恵まれた人間なんだろう!と日々常々感謝する日々でした。オーストラリアの人は(外国の方の多くはそうかなと思いますが)感情表現が豊かで、かつストレートで、良いと思ったらそれを伝えてくれるので、与えた分が本当にそのまま返ってくるという循環する感覚をその頃から覚え始めました。そんな日々もビザの都合で終止符を打つことになり、次の職場を探す準備をしていました。
目指すはキャリアアップのためにホテル系スパ。当時住んでいたシドニーは有名ホテルが沢山あり、Sheraton、Shangri-La, Four Seasons, Park Hyattをはじめとする名立たるホテルが集結していたため選択肢はいくつかに絞れていましたので、あとは以前同様、視察するのみでした。 と思ってはいたものの、その中で絶対にここで働きたい!と思ったホテルは実際一つのみでした。
それはシャングリラホテルのChi-Spa。
何故?WHY?と思った方!
それはまずホテルに入った瞬間に感じた感覚でした。ホテル上品な雰囲気、センシュアルなアジアン装飾にシグネチャーセント(香り)、従業員の笑顔、プロフェッショナリズム、どれを取っても文句なし。下調べしていた時から施術メニューやスパの雰囲気がドンピシャで好みだったこともありますが、実際にホテルに足を踏み入れた瞬間に感じた全身がしびれる感覚は忘れられません。エレベーターまでベルボーイに誘導していただき、スパの階まであがり、重厚感のある扉を開く手がめちゃくちゃ汗ばんでたのを覚えています。深呼吸をし、背筋を伸ばし、ゆっくりとその扉を開きました。
えええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!
ここは?!異国の地?!私はどこ?だあれ?
冗談抜きでそう思いました。どこかにタイムスリップしたかのような明らかに都会の喧騒のど真ん中にあることを忘れさせてくれるぐらいの静けさが漂う空間。ちょっと怖じ気づきました。笑
受付の方もとても落ち着いていて、優しい笑顔で出迎えてくれました。お部屋を直接見たいのでマネージャーと話しがしたい、との旨を伝えると、しばらくしてTHEデキル女!の雰囲気をもった女性が笑顔でこちらに向かってきました。自己紹介をし、ここの案内をしてほしいと伝えると、快くそこで使っている商材やトリートメントメニュー、お部屋の案内や説明もしてくださいました。その時点でフォーリンラブでした。もうここです。ここしかないです。定まりました。
最後に私がここで働くことに興味を持っていると一言お伝えし、もしよろしければご連絡くださいと履歴書をその場でお渡ししました。向こうも笑顔で受け取ってくれ、なんと翌日!ホテルの人事の方から面接に関してのメールが!!!!なんたる..!!!!! これは絶対物にするしかない、狙った獲物は逃すまいというパッションを持った20代の私のハートは燃えていました。笑 そしてなんと!受かりました。
こんなことってある?!絶対働きたいと思ったところに絶対働けてる現実。思考は本当に現実化するんだ!やればできるんだ!
まさにハッピーネスの絶頂でした。
ここでも様々な国からいらっしゃるお客さんから素敵なフィードバックをいただき、スタッフ優秀賞を二度もいただきました☆
もう感無量でした。
次に働いた場所はシェラトンホテル。ハイドパークという東京でいう代々木公園的な存在の目の前に佇むビジネスホテル。多くの観光客の方も泊っていらっしゃいました。そこは何といってもジム併設、そしてプールがスパルームの真ん中にあり、運動をされた方がマッサージやスパトリートメントを受けるといったパターンが多かったです。そこでも沢山のお客さんに喜んでいただけ、こんな素敵なキャリアを積めてなんてラッキーなんだ!と思う日々でした。
病気発覚
そんな中発覚した突然の甲状腺がん。たまたま首から肩にかけてのだるさが解消されず、病院にいきレントゲンをとっていただいた時に怪しい影を先生が発見。そこからCT,細胞診となり、手術のために一旦日本に帰国することに。
無事手術を終え、シドニーに戻りました。職場復帰も果たし、当時通っていたレメディアルマッサージ(治療を目的としたマッサージ)の学校のクラスメイト達にも心配されつつも暖かく出迎えてくれました。その学校も無事卒業し、ビザも切れるというタイミングで私は突然これからの人生に不安を覚えました。
日本へ一時帰国~カナダへ
日本を出る前に達成したかった目標、国際ライセンスを取得する、セラピストとしてのキャリアを積む、お客さんに喜んでいただく、をそれなりに成し遂げた私はビザが切れて帰国しなければならないといった状況になった途端に自分を見失った感覚に陥りました。
「これからどうしよう」
「この先オーストラリアに残ったほうがいいのか?それか日本に帰国?」
「だからといって自分は日本でやっていけるのだろうか?受け入れてもらえるだろうか?」
そんな漠然とした不安が当時の私を襲い、逃げ出したくなりました。
そんな中一度日本に戻る決意をしました。そしてその一年後、再度カナダのバンクーバーにいく決意をしたのです。
30歳ギリギリで使えるワーホリを利用し、私は半分期待、半分逃げ腰のままとりあえずカナダに飛び立ちました。
一番初めに就いた仕事は鍼灸のクリニック。これといって特別なことをしていなかったため、特にモチベーションもあがらず、「自分は何しにここにきたのだろう?」と自問自答を繰り返す日々。そんな自分を見て見ぬふりしながら過ごす日々。まさに悪循環。そんな中鍼灸のクリニックの前にどうしても働きたかったタイのスパにもう一度応募。タイミングよくセラピストの枠が空いていたらしく、無事採用! めちゃくちゃ嬉しかったです。両手を広げて喜びをかみしめた私。
そこのスパは、ホテル系スパを除いてバンクーバーでは評価がとっても高く、ベストスパにも選ばれているところ。落ち着いたエスニックな装飾品に雰囲気のある部屋の数々。まるでタイの高級リゾートスパにきたような、そんな素敵な職場でした。
しかしやはりいずれは来るビザ切れの現実。スポンサーしてもらえなくもなかったのですが、過酷な労働下で働くなんて!という変なプライドもありました。そんな迷いの中にいた私はビザが切れるタイミングで何を思ったか南米にバックパックの旅に一年半出かけることにします。笑 はい、また現実逃避です。いや、当時は「とりあえず区切りもいいし、大好きな旅に出て心機一転しよーー!!!」と結構楽観的な考えで出発しました。
日本完全帰国
当初の南米旅の予定は4か月。
気づいたら一年半たってましたw(南米での体験などはまた別ブログにて綴っていきたいと思います♪)
あっ!という間に楽しい時間は過ぎ去り、さてどうしようか。悩みましたが、帰りたくない気持ちがある一方、このままじゃいけないという焦りと不安も正直なところ感じていました。
ということで、、、日本へ完全帰国!!ついにです!!!
周りは私がまた旅にフラッと出てしまうんじゃないかと思って私の帰国を一時帰国だと思ってる人が多数でしたw
日本へ戻ってきたのはいいものの、今まで逃げまくってやりたい放題しまくっていた私がここにきてついに現実に直面。
「何しよう?」
年も30代半ば。店舗勤務なんて無理。かといって自分でサロンを開くほどのお金もなければお客さんもいない。いっそのこと職を変えてみるか?!とさえも一瞬思いました。
いやいや待てよ、、ここまできてそれはないでしょ。
どうにかしてフレキシブルに働けて、それなりに稼げる。たどり着いた答えはずばり、出張マッサージセラピストでした。
まさに私の求めていた条件にぴったりマッチング!
- シフト自由
- 歩合制
- 予約以外の時間は自宅待機(自由時間)
とにかくシフトが自由に組めることが私にとってノーリスクで本当に好条件でした。出張マッサージセラピストとしての働き方がよほど自分にあっていたようで、これなら続けられるかも!と思い日々の予約をこなす毎日でした。
そんな日々の中感じ始めたこと。それは以前シドニーで順風満帆な日々を過ごしていた時も感じたこと。これは私だけではなく、長年マッサージセラピストとして働いてきた方なら一度は思ったことがあるはず。
「身体だけにアプローチするマッサージじゃ物足りない!原因は身体にではなく、深い部分にある。根本改善をしたい!」 前にも増してそう感じました。
音叉ヒーリングとの出会い
そんな中「「音叉ヒーリング」に関する情報を母から送られできました。 楽器の調律などで使う音叉を体に直接当て、目的別の周波数によって身体を整え心理的要因にダイレクトにアプローチするヒーリング方法を知りました。
「これや!」
そう思いました。そのタイミングは2019年の5月に訪れました。カナダで音叉を教えている講師二人ロンとエリンが日本に来るとのこと。講座は約5日間みっちり音叉の使用方法だけではなくアトランティスの話から始まり、神聖幾何学や細胞レベルの話まで多岐にわたりました。そんな深い内容を学び終え、自分の中に完璧に落としこむのに結構時間がかかりました。母に練習台になってもらい、まず実際使う事に慣れるのが一番だと思い、試行錯誤色々やってみました。
「音叉を扱う上で最も大切なことは意図なんだよ!」
その言葉を胸に、たとえ順番間違えたり、音叉を体におくポイントを間違えてもお客さんの「どんな自分になりたいか?」ということを一番に考えました。そして続けていた出張マッサージもなんとなくマンネリ化してきた中、そろそろ独立しようかな、という気持ちが強くなってきました。
独立決意
はい、独立しよう!「でもどうやって?」という疑問を長年抱いていた私は若干のレイジー病を患っていました笑 けどもう先延ばしにしてる自分に嫌気がさしてきて、もうやるっきゃない!というノリで決意しました!
実際どうやって開業したかの詳しい手順はそれぞれ別のブログで書くとして、とりあえず無事現在こうやって自分のウェブサイトにてブログを書けるまでに至りましたー!!
パチパチパチですよ!
いやー本当に「独立した」というだけでこんなにも気持ちが変わり責任感も違ってくるんですね! こういった心境の変化って人間の成長過程において良い刺激になってモチベーションあがります!!!
ひとまずそんな自分に万歳です!
ここまで読んでくださり本当ありがとうございます~
次回は実際どうやって開業したかの手順について詳しく説明したいと思いますので現在セラピストで独立を夢見ている方は必読です☆