はじめまして皆さん✩
私のブログにようこそ!そして読んでくださりありがとうございます^^
私は何者?!と思われる方へ、自己紹介をしたいと思います♡
名前⇒恵美
誕生日⇒1984年7月30日生まれのしし座
生まれ⇒オランダのアムステルダム🌷
父親の仕事の関係で80年代はヨーロッパを転々生活していました。
赤ちゃんの時はとにかく無愛想で、乳母車の中からあらゆるヨーロッパ人を眼つけてたみたいです笑(by 母)
私には年子の兄がいますが、彼は私とは真逆で愛想振りまくりのいつでも笑顔の愛され坊や♪
「oh my gooood sooo cuuuute!!(なんてかわいいの!)」
と褒められまくりの兄に対し、眼つける私を見るや否や、少し微笑んで多くの人は通り過ぎてったみたいww
そんな真反対の兄弟♡
幼稚園にあがるころには日本に帰国し、赤ん坊の頃とはうってかわり、自由気ままに好き放題しまくる子供へ
とにかく自由奔放で楽しいことといたずら大好きな天真爛漫な子でした。
ピュアで楽しい事が大好きな少女でした。(きっと皆そうだとおもいます)
いたずら極まりすぎてよく大人にいたずらとかしてた強者でした!
けど決していたずらではなく、私はただ遊びたかっただけなのです。
この頃(3歳ぐらい)から近くのスポーツセンターでバレエ教室に通い始めましたが、
身体が柔軟だったから楽しく友達とてんやわんやしてたかな~!
でもどんなにシンプルな振付でも、ほぼ覚えられませんでした!
振付めんどくさいな!なんで誰かが考えた振付覚えなきゃいけないんだろうとさえ思っていました笑
楽しければ良いんじゃなかろうか?!ってなんとなくずっと思っているような子でした。
あとピアノも習ってましたが、いつまでたっても全く楽譜が読めませんで、いつも感覚で弾いてました。
これが自分でもなぜかわからないのですが弾けてしまっていたんですよね!
だからピアノは楽譜見ないで感覚でひいてました。
要するにこの頃から、どれもこれも決まったやり方に対して苦手意識と抵抗を感じていました。
ある意味感覚派の天才少女って自分でいってもいいですか?笑
そういえば3歳の時に、ある僧侶にこんなこと言われました。
「この子はまさに!!天才えみちゃん、ちゃんちゃん♪ですね!」ってw
その時はなんのこっちゃ?と思ってましたし、なんならもっと世間にそれを叫んでくれたまえ!
とも思いました。
そんなこんなで幼稚園はまーそれなりに楽しく過ごしました。
けど、小学校にあがってから幼き私はとても苦しむことになりましたの
・決まった登校時間
・校内でのルールや決まり事
・不正解=ダメというレッテル
・毎朝の朝礼
教えられたことをきっちり守り、それをロボットのように同じように生徒全員がする。
それに反したらまるで人間失格みたいに怒られる。
これら全て苦痛でしかなかったです。私の言動全てにおいて、
・だめ
・間違っている
・マナーがない
・自分勝手
といわれてきました。けどね、まだ子供だよ?自分の好き勝手やる時期じゃないの?
楽しく自分の心に素直に従って生きる喜びを感じる時なのに、それをことごとく否定さ
れまくり、私の中の小さな子供は深く傷つきました。(この時感情に蓋をしたので気づきませんでした)
皆違う個性をもった人間なのに、なぜ同じことをしなければならないのか?
そんな事に違和感しか感じず窮屈な思いを毎日してたなあ。
特に朝礼時にする「前ならえ」が大嫌いでいつも綺麗な一直線を常に私が乱してたのを覚えてます笑
私めっちゃスペシャルな個性派じゃん
って思うのですが、日本の社会や教育ではそういう風に捉えられないことが多いですね。
みんなと同じであることが自然と嫌だっていうのと、こんなふざけたことやってられるかー
ってどこかで思っていまして、それが自然と行動に表れたんですね
唯一の救いはそんな私を母は常に暖かく見守ってくれた事。
「えみはえみでいいんだよ!」っていつも私の見方でいてくれたような気がします。
そんな私は学校で徐々に自然と普通に浮いた存在になり、友達からも先生からも敬遠さ
れ、「仲間」「味方」「友達」「親友」と呼べる存在が一人もいなかった寂しく孤独な
幼少期を過ごしたことを覚えています。私からしたらみんな敵、という時代でした。
戦闘体勢常にON!!!
学校では常に孤独でしたし、いつもみんな私のことまた噂話しているんだ、って思うよ
うにもなりました。
その体勢が更に孤独を加速化させてしまってたと今では気づきましたが!
とは言っても寂しかったな~。
小学校3年生まで先生からもひたすら怒られ、私って誰からも理解されないし、好かれな
いし、受け入れてもらえない存在なんだ、なんとなく漠然といつも思うようになりました。
私のインナーチャイルドはこの頃にとっても傷つきました。その時から無意識に、
「自分の感情に従うとよくないんだ」
「自分を素直に表現したら嫌われる」
「私は自由に自己表現したらいけないんだ」
「みんなと合わせないと仲間外れにされる」
と思い込んでしまいました。誠に悲しい思い込みが潜在意識に刷り込まれてしまいました。
でもどこかで、「なんでそれじゃあかんねん!」とも思ってましたし、基本はポジテ
ィブ人間だったので、本能的に自分が自分で在ることがダメなはずがない!(我ながら幼いながらに悟ってたわって思いますw)
って知ってたような気がします。
でもだからこそ、周りから噂話されたり、避けられたり仲間外れにされることに対し
て、悲しみやショックの感情を無意識に抑え込み、沸々とサイレントな怒りがこの頃か
ら蓄積していきました。
周り=敵=自分を守るために戦闘モードON!
というやばめな方程式が確立されました
小学校いっても浮いた存在、遊ぶ友達もいない、もう日本なんて嫌だ!と思っていた中
ついに吉報が
父親がアメリカに転勤になるから家族でニューヨークに引っ越すとのことー
もうね、この時の喜びは今でも覚えています笑
めちゃくちゃ嬉しかったです。家中いつまでも飛び跳ねてましたw
やっとこの何とも言えない日常から解放されるんだっていう喜びと安堵感♡
アメリカ生活はそれはそれは楽しすぎて
これこれーーー!
私の求めてたもんこれやねん!!
「自由×個性尊重×自己表現」
この三拍子そろっちゃったよ嬉しすぎるよ
やっと居場所見つけたよ
個人としての在り方を尊重してくれる事にとてつもない安心感を覚えたし、皆と違う事
をしても誰も怒らないし、むしろそれを個人の素晴らしい性質として大歓迎される
質問されたことに対する答えに正解も不正解もない
むしろそんなのどっちでもいい
自分の思ったことを主張するだけで褒められる、そんな新たな輝かしく解放的な世界を
アメリカは私に見せてくれました
だから本当に日本とは打って変わって皆それぞれクレイジーか!ってぐらい自由の極み
で、伸び伸びと育っている感じがしてそんなみんなのありのままの姿が当時の私にとっ
てはまさにキラキラしてみえました!!
やりたいならやる、やりたくないならやらない。言いたいなら即いう。
嫌なら嫌だとはっきりいう。本当シンプル。
もーね、こういう世界、待ってました~!状態でした。
いらん縛りと制限とルールからの解放!!!ここでやっと才能開花!!
と、思いますでしょ?私もおもっとりました。
環境が変われば自分は制限から解放されると。悪いのは私ではなく周りと環境のせいに
決まってる!私何も悪くない!(ある意味すごいポジティブw)
自分以外のものが変われば自分らしくいられると思っていました、この時は。
アメリカでそれなりに伸び伸びと個性は発揮できたものの、周りに対して抱く想いだっ
たり、どうせ受け入れてくれないという想いによってシールドを張り巡らすようになったな~。
人と接する際に、どうしても自分の中の癒されていない葛藤とトラウマが引き金とな
り、相手を攻撃したりもしてました。
要するに、いくら環境や人が変わったって、原因は外側ではなく私の内側にあるブロッ
クが原因ってことです。
「愛されてないんだ」
「嫌われているんだ」
「私はどうせ浮いた存在だ」
「空気が読めない子」
「場を乱してしまう子」
そういった自分の潜在意識に刷り込まれてしまった思い込みが知らぬ間に私を支配して
いました。それによってどんどんその現象が加速化していきました。
そして結局「Be my self」であることを完全に貫くことができなかったの。
あの時の悲しみ、怒りの日々がニューヨークに来てまでもまとわりつく。
でも日本にいた時よりかはアメリカにいる方が遥かに気持ちは楽でしたし、とにかく
言いたいことを言いたい放題できる環境がとても心地よかったし、自分を信じ、きちん
と主張する事、自分の気持ちに従う事の大切さを経験できたのは何よりの宝物
私にとってアメリカに来ることで、日本で私が抱いていた疑問や葛藤はやっぱり手放し
ていーんや!と再確認できたと同時に、私の中にあったトラウマと思い込みを再浮上さ
せる経験となった感じですね。
それでもアメリカではそれなり友達もいたし、放課後遊んだりもできて嬉しかったのを
今でも思い出します。バレエもアメリカに来ても続け、バレエ仲間とはレッスン中
よく笑ったもんです。ふざけまくって楽しみながら受けていたバレエ。日本だったら
こてんぱに怒られていたところですが、アメリカでは逆に先生が「何笑ってるの~?」
と参加してきます笑 もううう~~そういうところ本当好きです♡
ちなみにアメリカにきても振付ぜんっぜん覚えられませんでしたw
もう短期的記憶の部分機能不全じゃないかってぐらい全く覚えられませんで、よく周り
きょろきょろしてコピーしてたから、ある意味真似する達人にはなりました笑
そんなこんなで私のアメリカ生活は、うわべではいい感じでしたが、結局「ありのまま
の自分」を表現していくことに対し深く傷を負った私はなかなか本領発揮できずで
あの時のトラウマが影響し、今度は自分が日本人だから敬遠されてるかも!という誤作動が働く
アメリカにいるともちろん日本人の私は彼らと比べて文化、習慣、言葉や立ち振る舞い方も全く違う。
日本にいた頃は「日本人らしくない」「私らしくいられない」ことに対する孤独感と怒
りを覚え、アメリカにきたら今度は「日本人であること」に対する孤独感とコンプレッ
クスを知らぬ間に抱くようになりましたもう完全に自分がどう在っていいのか
分かりませんでした。自分はだあれ?
完全なるアイデンティティクライシスを経験し、疲れ果てていました。。
どうせ私は人と違うんだ、皆なんか嫌いだ!!
もはや癒えない傷による「防衛反応」によって周りを拒否するように。
そしていじけた私は自分が理解されない想いによる悲しみと怒りをずっと抱えるように。
誰もわかってくれない。なんだよーーー!!!
どこにいようが自分の居場所なんてないじゃないかーーーー!!!
そしてそんなダブル傷を負った私は6年後、再度日本に帰国することに!!!
続きは自己紹介②にて →